日光400年祭 東照宮      2015年10月20日
   
五重塔  特別拝観料300円(ツアー代に含まず)
日光東照宮の最初の五重塔は、慶安3年(1650)に初代若狭小浜藩主の酒井忠勝が寄進したものでしたが、文化12年(1815)に焼失しました。
その後、文政元年(1818)に十代藩主酒井忠進が再建したのが現在の五重塔です。
 高さは36m。極彩色の日本一華麗な五重塔で、初層軒下には富田宿(現大平町)の名工 後藤正秀が手がけた十二支の彫刻があります。また、初層内部にも漆塗り・彩色・漆箔がきらびやかに施されています。
 塔を貫く心柱は事例の少ない懸垂式で、礎石には据えられず、四重から吊り下げられて浮いています。これは、時を経て重みで塔身が縮んだ際にも、心柱が五重の屋根を突き抜けてしまわないよう、江戸時代に考え出された工法です。
 こうした工法が可能であったのは、五重塔の心柱が構造上塔身から独立して、先端の相輪だけを支えているためですが、一方で、そのように塔身と分離した心柱は、免震の機能を果たすとも考えられてきました。東京スカイツリーのデザイン監修者である元東京藝術大学学長 澄川喜一氏によれば、この五重塔の免震機能はスカイツリーの制振システム(心柱制振)にも応用されたといいます。
 五重塔は地震に強いと言われる通り、日光東照宮の五重塔も幾度かの大地震を乗り越えて健在です。そして今も、標高645mの日光山内にあって、スカイツリーの高さに呼応するが如く屹立しています。
 この五重塔の1層目には、地元の名工・後藤正秀が手がけた十二支の彫刻があります。東西南北の4面に3種類ずつ並んでるんですが、東側(正面)には寅・卯・辰がいます。これは、偶然ですが、徳川3代将軍(家康、秀忠、家光)の干支に対応するそうですよ。
日光東照宮五重塔の十二支 東面、向かって右から寅・卯・辰。上から見て時計回りに並んでます。


浮いてる  芯柱底部

正面向しょうめんむかって右側の像が、口を開けた「阿形あぎょう」を、左側の像が、口を閉じた「吽形うんぎょう」をしていて、災わざわいいから日夜にちや、御門ごもんを守っているのです。
三神庫(さんじんこ)【重文】
上神庫・中神庫・下神庫を総称して三神庫と言い、この中には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められています。
また、上神庫の屋根下には「想像の象」(狩野探幽下絵)の大きな彫刻がほどこされています。
神厩舎・三猿(しんきゅうしゃ・さんざる)【重文】
神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)です。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されています。中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名です。 
寛永12年(1635)に建てられた桁行7間、梁間4間、切妻、銅瓦葺き、校倉造り、高床の上倉庫の妻面に彫り込まれたものです。彫刻の下絵の作者は狩野探幽と言われ、探幽が実物の象を見たことがなかった事から「想像の象」と呼ばれるよになりました。  伊達政宗がポルトガルから鉄を輸入して作った「南蛮鉄灯籠」
「平成の大修理 第1期第2次事業(平成25〜30年度)」を実施しております。同事業には国宝である陽明門の修理工事が含まれており、今年から約6年間の予定で工事を行っております。 
「平成の大修理」の進む、日光東照宮陽明門の東西の壁画が一般公開中です。

壁画はこれまで羽目板で覆われており、特に西側の「松と巣ごもりの鶴」の壁画は、
217年ぶりに確認されたもので、今回初めて公開される事となりました。

あわせて、東側の「梅と錦花鳥」も40年ぶりに公開されています。

平成の大修理終了後、壁画の上に羽目板が取り付けられると、次に大修理が行われる
約50年後まで見ることができなくなるので、大変貴重な公開となります。
神輿舎(しんよしゃ)【重文】
春秋渡御祭(5月18日、10月17日)に使われる、三基の神輿(みこし)が納められています。天女天井 響く

本殿前の唐門にある。 これからJALのマークができたとか!
眠り猫(ねむりねこ)【国宝】
左甚五郎作と伝えられています。牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われています。これより奥宮に通じます
将軍着座の間

日光東照宮で将軍しか入れない部屋、
明治になってからも徳川宗家しか入ることのできないお部屋が
「将軍着座の間」です。
そんな将軍しか入れないお部屋に入って
玉串を奉納し特別祈祷を受けました。


社務所まで秘密の通路
最後は社務所で行われる「直会(なおらい)」です。
「直会(なおらい)」とは神事に参加した一同で、神様に捧げ、
神様が召し上がったものを食べることによって、
神様との結びつきを強くするものだそうです。
今回はお酒、日光の名産の「志そまきとうがらし」、「お魚」、
「干ぴょうの砂糖漬け」でした。

お土産
お神酒が入った杯(さかずき)とグラス、
そして日光東照宮のお札などがお土産
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