日光山 輪王寺
2015年10月20日
今回のコース

浜松町(7:30発)==東北道=
=輪王寺・三仏堂(案内人付参拝。風神・雷神像特別公開)=
=輪王寺・大猷院(拝観。家康公御位牌の初公開)=
=磐梯日光店(昼食:家康の好物御膳)=
=日光東照宮(神職または巫女さんの案内付で拝観、将軍の間で特別祈祷、直会、東照宮からの記念品付)=
=金谷ホテル歴史館(入館)==東京駅(18:30着)


↑両備のマークを発見
  輪王寺 三仏堂

  三仏堂は、約50年ぶりの大修理が始まり、仮囲いで覆われたり、通行場所が制限されております。
 朱塗に映える美しい神橋

↑資料リンクあり

↑資料リンクあり


風神は修復済み 雷神は未修復で添え木で補強
日光二荒山神社

今回は素通り
輪王寺  大猷院
三代将軍徳川家光公が眠る大猷院 仁王門 重要文化財・世界遺産
祖父である「家康公」(東照宮)を凌いではならないという遺言により、金と黒を使用し重厚で落ち着いた造りになっています。 
 
↑資料リンクあり
  栃木県日光市の日光山輪王寺は4月22日、徳川家康の四百回忌に合わせ、同寺の大猷院で家康の位牌(いはい)を初めて公開した。平成28年11月30日まで。今年は日光東照宮で四百回忌の式年大祭が行われることもあり、「多くの方にお参りしてほしい」と呼び掛けている。

 日光山輪王寺によると、大猷院は江戸幕府の3代将軍家光の墓所で、本殿には歴代将軍の位牌が安置されている。家康の位牌は黒い漆塗りに金箔(きんぱく)が施され、戒名が刻まれている。
大猷院廟 拝殿内部 国宝 世界遺産
拝殿の内部は細部に至るまで金箔が施され、文字通り金箔玉楼となっています。寺院は本尊が南を向くのが定式で、家康公の御廟である東照宮もそのような造りになっています。ところが大猷院の本殿は東北(鬼門)を向いているのです。これは家光公が「死して後も朝夕東照大権現(家康公)の側でお仕え奉る」と遺言し、御廟も東照宮の方へ向けてあるからなのだといわれています。
それでは大猷院のご本尊はどちら向きかといいますと、本殿の奥壁の裏に実はもう一つ部屋が設けてあり、そこに釈迦三尊画像が後ろ向き(南面)に掛けられています。定式と遺言のどちらにも沿う妙案と言えるでしょう
  皇嘉門 重要文化財・世界遺産
大猷院の最も奥に位置する家光公の御廟へは、この「皇嘉門」から入ります。中国、明朝の建築様式を取り入れたその形から、一名「竜宮門」とも呼ばれてる美しい建物です。門を潜るときに見上げると、天上には「天女の画像」が描かれています
京都では「湯葉」、日光では「湯波」と、ちょっと字が違うのを知っていますか?  その違いは、作り方の違いにあるようです。

日光では、細い金串を豆乳の表面に張った薄皮の中央に入れて掬い上げます。そうすると、串の両側に垂れ下がった薄皮がくっついて1枚となり、両面が表の2枚分の厚さのものが出来上がるのです。
これに比べて京都では、竹串で薄皮の一方の端をつまんで上げるので、表と裏のある1枚ものになるのです。
これが「波」と「葉」の違いかな?

日光の人にとって、ゆばと言えば「揚巻湯波(あげまきゆば)」を指します。
揚巻湯波は、棒状に重ねて巻いた生湯波を輪切りにして揚げたものです。
これを油抜きして煮たものが、日光の食卓で最もポピュラーなゆばメニューなのです。この料理ができないと、日光のおかあさんとは言えません。
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日光山 輪王寺 とは
比叡山「延暦寺」(滋賀県)に「延暦寺」という建物はありません。
山上山下のたくさんの寺院を統合して「比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)」というのです。
「日光山 輪王寺(にっこうざんりんのうじ)」も同じで、日光山全体を統合していました。
明治の神仏分離以降でも本堂・大猷院・慈眼堂・常行堂・中禅寺・護摩天堂・四本龍寺等のお堂や本坊、さらに十五の支院を統合して出来ており、その全体を指して輪王寺と総称します。